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五十嵐一公先生 インタビュー

次世代へ願いを託して
「今まで以上のハドレー犬に会いたい」

ハドレーポメラニアンに魅了されて
大学在学中にイギリス留学

ポメラニアンを飼い始めたのは、僕が高校1年生のとき、犬好きの母が知人から譲ってもらったのがきっかけでした。ただ、当時はそれほど犬に興味をもっていませんでした。それが、イギリスへ遊びに行ったとき、180年の歴史がある世界でもっとも大きなクラフト展で世界的なブリーダーであるMrs.ダイクの素晴らしいハドレーポメラニアンを見て、うちのポメラニアンとまったく違うことに衝撃を受けたのです。僕はすぐに「Mrs.ダイク・ダイクの犬が欲しい」と思いましたが、周囲からは「売ってもらうのは至難の業」と言われていました。それでも諦めきれず、何度か手紙を書いてコンタクトをとるうち、Eng CH ケステレル・ケッセンドゥ・ハドレーというイギリスチャンピオン犬を譲ってもらえることができました。

その後、日本で日大獣医部に通っていたのですが、ポメラニアンへの好奇心が抑えきれず、語学留学のためと両親を説得してイギリスに再びやってきました。そこで飼い始めたのがスイートドリームオブオーラムというハドレー系ポメラニアン。その犬をリッチモンドのクラフト展に出場させると、なんとベスト・オブ・ブリート(ポメラニアンの中で1位)に選ばれたのです。当時は、ポメラニアンの知識がほとんどなかったので、どうして自分の犬が勝ったのかもわからず、ただただ驚きで一杯でした。これは、日本のニュース(アサヒイブニングニュースでTOKYO MAN BEST TOY AT CRUP 23rd years old KAZUMASA IGARASHI)にもなったほど、大きな出来事でした。今思えば、最初に衝撃を受けたハドレー系ポメラニアンがたいへんいい犬で、それに負けない犬を見つけられた幸運があったからかもしれません。

28歳で審査員に抜擢されて
世界28ヵ国の展覧会を飛び回る

実は、語学留学の途中、犬の展覧会に夢中になっていたのが両親の知るところとなり、日本に戻らなくてはいけなくなりました。日大獣医学部の復帰するのもたいへんだったので経済学部へ移り、卒業後は貿易の会社に勤めました。海外出張が多い会社で、出張のたびにイギリスを経由し、展覧会へ足を運んでいました。

イギリスでは、Mrs.ダイクから「あの犬舎に行って学んでおいで」とさまざまな学びを得る機会が得られました。Mrs.ダイクは、オックスフォード大学出身で、たいへんな知識が豊富な方。犬の見方についても教えていただきました。世界で一番有名な審査員であるMr.ジョー・ブラドンとのご縁をいただいたのも、Mrs.ダイクのおかげです。Mr.ジョー・ブラドンとは展覧会に行くたび、「どの犬がいい?」と聞かれ、短時間で犬を真剣に選ぶ目を養うことができました。

貴重な経験を経て、28歳でポメラニアンのみの単独展の審査員に選んでいただきました。それからはますます犬にのめり込み、アメリカ、カナダ、中南米、アフリカ、ヨーロッパなど世界28ヵ国の展覧会の国際審査員として、チャンピオンシップに参加する日々を過ごしていました。そんな僕も80歳を迎え、かつてのように世界中を飛び回るのは難しくなりましたが、今でもハドレーポメラニアンに対する想いは尽きることがありません。

ハドレーポメラニアンは皆の憧れ
堂々と動く姿が実に美しい

ハドレーポメラニアンというのは、“クイーン・オブ・ザ・ポメラニアン”と呼ばれるほど憧れのブランド。Mrs.ダイクの犬舎は、ポメラニアンという犬種のなかでも、ブランドの頂点を極めています。日本ではハドレーというだけで販売しやすいため、すぐにハドレーとつけるのですが、純粋なハドレー犬というのは4代に渡りハドレーの血統が続いていなければ認められません。日本の他、ヨーロッパ、アメリカ、アジアなどでも、誰もが欲しいと思うのが、ハドレーポメラニアンなのです。

日本ではポメラニアンというと、よく吠える番犬のようなイメージかもしれませんが、イギリスではおとなしく吠える姿は見たことがありません。体がボーリングの球のように丸く、ふわふわの毛に包まれてコロコロと転がるように動く姿が、実に美しいのです。ビクトリア女王の時代より王室に愛された犬で、ビクトリア女王が近代ポメラニアンをつくったといわれています。女王がイタリアを訪れた際に、マルコという小さなポメラニアンの血統を取り入れ、それまで15kgだったサイズを6~7kgにしたといわれています。さらに現代のポメラニアンは、2~3kgサイズまでコンパクトになりました。とても小さな体ですが、歩くとボーリングの球のようで、動きもキレイなのです。

そんな姿を見ていると、あの犬の輪郭を、この犬の体系を、歩様をいったように、それぞれの犬のいいところをひとつに集約したくなるものです。けれど、犬は1+1=2ではありません。ときに-1になってしまうのが、血統の難しさでもあります。

1998年には、Mrs.ダイクが守ってきたハドレーポメラニアンを受け継ぐべく、北海道の白老町に家と犬舎を建てました。そこは、多くのポメラニアンが走り回れる広大な犬舎で、コンクリートの下には温泉パイプを引いて、その熱で冬でも雪が積もらない仕様になっています。おかげで1年中、犬たちが元気に駆け回っています。いい犬をつくるには、いい環境をつくらなければ、との想いでやってきました。

繁殖や飼育を担当してくれていたのは前川(HAKODATE Maekawa)さん、その弟子にあたる森さんの協力を得て犬舎を続けてまいりました。小型犬は出産の危険度も高く、出産後も上手く子育てができないため、人工哺乳で育てる必要があり、たいへん手がかかるもの。「ダンスは一人じゃ踊れない」というのが僕の信条で、良いパートナーがいたからこそ、ここまでやってこられました。

自分の年齢的なこともあり、今ではポメラニアンの数を減らし、去年生まれたのが5頭。もっとも多く60頭飼っていた頃は、1年で25頭生まれたこともありました。そして、生まれてきたほとんどの子がチャンピオン犬になっています。これまで日本で178頭のチャンピオンを誕生させ、JKCで殿堂入りを果たしています。

久田さんの研究熱心な姿勢に驚き
ハドレー生誕100年計画を託す

久田さんとの出会いは12年前で、彼女は最初、ポメラニアンについてまったくの素人でしたね。それが、スマートフォンを活用して世界中のポメラニアンを見て研究し、人が50年かかることを12年間で吸収してしまいました。本当に驚くほど研究熱心で、会えば僕もずっと質問をされて、ポメラニアンのことを語り尽しました。昔のようにイギリスに何度も行かなくても、独自のやり方でショードックの知識を十分に身につけています。

久田さんがつくったロイヤルグレース犬舎は、キレイすぎて人にとっても住みやすい空間。都内という最高の立地に、あれだけの犬舎をつくれる人は他にはいないと思います。彼女は、犬でも鳥でも、動くキレイな生き物が好きだから、そのセンスを生かして、僕が死ぬまでに唸るような、今まで以上のポメラニアンを見せてほしいと願っています。

ただ、ハドレーポメラニアンだけで血が濃くなると不健全な犬ができてしまいますし、血統を離すと先祖返りしてしまいます。違う血をいれなければ、行き詰まります。アウトクロス(違う血を入れる)したら、元のハドレーポメラニアンに戻すのに3代、10年はかかるので、その間は悲しい思いをするでしょう。だからこそ、アウトクロスするときは、よく考えて、自分のイマジネーションを働かせて、実行してほしいと思っています。時間がかかってもいい犬をつくることを大切にしてもらえたらと。

僕自身、ポメラニアンは難しい犬種だからこそ、燃えるんじゃないかと思います。ポメラニアンと出会って60年ちょっと、釣りやゴルフなどいろいろなものに興味をもってきましたが、体力的に難しくなり、最後に残ったのは犬だけ。ポメラニアンは、家族よりも長い時間を共有している存在です。

ハドレーポメラニアンの歴史は、1945年にMrs.ダイクが初めて繁殖してから、今では77年。久田さんをはじめとする世代の方々が100年計画で受け継ぎ、ハドレーの犬種を守っていってほしいと心から願っています。最近、少しずついい犬がでてきているのを目にするので、大いに期待しています。

Profile

五十嵐 一公 プロフィール

ポメラニアン・ブリーダー歴50年以上。JKC全犬種審査員。英、米ほか海外28ヵ国での国際審査員としても活躍。JKCポメラニアン部会長。世界的ブリーダー、Mrs.ダイク・ハドレーの死後、彼女の犬とハドレー犬舎名を日本にて受け継ぐ。これまでに、日本にて178頭以上のチャンピオン犬を誕生させている。今でも、ポメラニアンと毎朝10kmの散歩をするのが日課。

ロイヤルグレース犬舎のポメラニアン ドッグショー
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